【月刊水泳1月号】OWS World Aquaticsワールドカップサウジアラビア大会
執筆・寄稿:OWSヘッドコーチ 太田 伸(枚方SS)
ワールドカップサウジアラビア大会がサウジアラビア・ネオムで開催された。この大会は2024年のW杯の最終戦ということもあり、参加者は多くなかったものの、トップ選手の多くが出場していた。
場所はサウジアラビアの開発都市ネオムで、周りが砂漠に囲まれた地域であった。空港に到着し、大会主催者の車に乗りこむと、そこからしばらく砂漠風景が続いたが、突如として宿泊施設が建つエリアがあらわれた。今回、世界水泳連盟主催のW杯であったが、アジアンビーチゲームズの1つともなっており、OWSだけでなく、ビーチバレーやビーチサッカーなども近隣で開催された。その大会のために、宿泊施設や食堂等が建てられ、立派な選手村となっていた。
大会に向けて日本チームは時差調整もしっかり行いたかったことから、4日前に現地入りしたが、他国はどこもついていなかった。また大会の準備もようやく始まったところで、ブイなどもまだ立てられていなかった。翌日からプールでの練習もできるようになっていたが、プールといえども、海にコースロープが張られたのみであり、海水のプールであった。周りが砂漠エリアで乾燥地域であったことから、海水の水も蒸発しやすく、塩分濃度が高い状況であった。大会まで3日となっても、他国の選手はなかなか現れず、少々日本チームの緊張感も薄まってきてしまったため、今後は数日前に現地入りする形でもいいかもしれないと感じた。
レースは初日に10km男女が行われ、女子はパリ五輪代表の蝦名愛梨と世界選手権ドーハ大会代表の梶本一花が出場した。蝦名はパリ五輪前にW杯やLEN CUPに出場しており、W杯において入賞を果たしていた。一方、梶本はパリ五輪出場権を獲得することができず、2024年の上半期に日本代表として国際レースに出場できなかったため、初のW杯となった。蝦名はパリ五輪前に比べて、練習が積めていないことから、不安を抱えた状態でのレースとなった。一方、梶本は自身がどこまでいけるか試してみると積極的にレースをすすめていた。水温は24度と泳ぎやすい環境であったが、風が少々あり、レース時間によってはうねりがみられた。レースの途中、梶本が1位になると、世界のトップ選手を率いてレースを展開した。また蝦名も五輪選手の意地を見せ、最終ラップを6位で通過した。世界のトップ選手は最終周のテンポがはやく、数名の選手に抜かれると、梶本は8位、蝦名は18位となった。OWSの段階的育成プランでは、五輪出場を果たすためには、W杯で入賞を果たす必要があることから、梶本は初出場ながら達成できたことになる。
一方男子は、高木陸・辻森魁人ともにスタートは良かったが、その後泳ぎづらい位置でレースを展開し、体力を消耗してしまった。2人とも課題はヘッドアップの多さと、海外選手との競泳の泳力差である。辻森はコース取りで成功し、一時4位になるも、両者ともに途中からついていけなくなり、辻森は19位、高木は28位という結果であった。
翌日に行われたリレーでは、前日の結果から予想順位を出したところ、日本は最下位となってしまい、日本チームで戦略を考えた。競泳の1500、800mのタイムでは3位であることから、目標をメダル獲得とし、梶本・蝦名・高木・辻森の順でリレーを組んだ。海外選手も全チーム女子・女子・男子・男子の順で組んでおり、実質OWSの泳力勝負となった。
梶本が第一泳者で1位で蝦名に引き継ぐと、蝦名が先頭集団の団子の状況で3位で高木に引き継いだ。高木も1位、2位のイタリア・ドイツという世界のトップメンバーについていくと、3位を維持してアンカーの辻森に引き継ぐ。最後、辻森はW杯2024年シーズンチャンピオンのマルクアントワーヌ・オリビエ(フランス)と3位争いの一騎打ちとなる。ゴールまでの直線で、オリビエがペースをゆるめると、辻森もそのペースに飲まれてしまい、最後はオリビエのラストスパートに負けて4位であった。メダル獲得は逃したが、世界との差は確実に狭まっている。
ただそこには大きな差があり、男子は特に競泳の泳力をあげるとともに、男女ともにOWSのレース経験を増やし、レース戦略を複数持っている状況にし、集団の中での楽な泳ぎを確立する必要があると感じた。
月刊水泳 vol.582 2025年1月号掲載